スマブラ発売20周年を祝して

スマブラ発売から今日で20周年ということで、息の長いゲームだなと改めて思う本日。

今の自分の人生にとってスマブラは欠かすことのできない大きな意味を持つものになっています。

 

振り返ると18年前、スマブラDX発売直後に開催された公式大会。あれが自分の原点だったと思います。

乱闘ルールで5,6回乱闘に勝つと決勝ステージに行けるみたいなそんなルール(当時小学4年生だったので曖昧)。

大会当日までは練習ということで、ガノンドロフを使ってCPUのLV9を3体相手にし、3連勝するまではその日ゲームをやめないルールを自分に課していました。

あと一歩のところで負けて家で一人荒れ狂ってモノにあたって母親に怒られ...そんな毎日でした。

そんな中迎えた本番当日、参加券配布が朝イチからだったので、まだ日の昇っていない暗い時間から家族で車に乗って幕張メッセまで行きました。

車の中で聴いた音楽や、レインボーブリッジの景色は今でもぼんやりとその情景を覚えています。

本番では確か3回連続で1位を取った後の4回戦で敗退だった気がします。

4回戦にもなると周りは背の高い大きな人ばかりで(多分高校生か大学生くらいかな?)、負けたもののここまで勝ち残れて良かったとは少し思った記憶。

 

そんなこんなで初めてゲームに情熱を注ぎ、子供ながらに一生懸命練習したのがこのスマブラDXというゲームでした。

もちろん当時はガチ勢というものが存在することも、インターネットで彼らが出会っていることも知る由もありませんでした。

その大会以降、しばらくスマブラは学校の友達とワイワイ盛り上がるためのゲームになりました。

2008年1月、長らくやっていなかったスマブラに新作が発売しました。スマブラXです。

小学校、中学校と一緒に遊んでた仲間から連絡が入り、新作を遊ぼうという声がかかりました。

発売当日にトイザらスで購入し、それからしばらくは友達と週末に集まって遊ぶ日々。

ある日僕の父親が「このゲームオンラインに繋いで対戦できるみたいだけど、繋いでみる?」と僕に言いました。

何の気なしに「お願い」と頼んだあの日から僕の人生は良くも悪くもかなり変わったのだと今振り返ると思います。

初めて繋いだオンライン、おきらく乱闘で1人とマッチングをし、初戦はなんとタイマンになりました。

今でも覚えています。知らない人と対戦することに緊張し、ドキドキしながらルカリオと対戦しました。

そこから2chで対戦相手を見つけ、大会に出るようにもなりました。身内集団と知り合い、毎日家に帰ってはチャットで集まって色々なルールで対戦をしていました。

そして、身内の一人が関東のスマブラオフに行きました。自分も行ってみたいと思い、行った1回目のオフが千葉のさざめ宅オフ、そして次に行ったのがRAIN宅でした。

...

語れば無限に色々話せますが、とにかくスマブラは僕の人生を色々な意味で変えてくれました。

たまにスマブラをしていなかったらどうなっていたかなと思うこともあるけど、10代後半に人生に迷走して色々なことに手を出しては辞めていたことを思うと、一つのことにここまで熱中して多くの人に自分のことを知ってもらえてることは良いことだったと思います。

これからもこのゲームと共に自分はあると思います。今後ともよろしく!!

 

ゲームの競技性の話

Twitterじゃまとまりきらないけど、ちょっと殴り書き的な感じで書いておきたいことを

「eSportsって他のスポーツと比べてどの程度競技レベルが高いんだろう」

というテーマに対して色々と考えるんですが、皆さんどう考えるでしょうか。

今日Twitterで(自分の中で)話題になったテーマでもあるので、改めて少し考えてみたいところ。

競技レベルとは何か

これ早速難しいと思います。

スマブラにおけるTOP10プレイヤーの習熟度と、フィギュアスケートのメダリストの習熟度をどう比較するのか、という話なんですがとてもじゃないけど定量的に比較するのは難しそう

よくある意見として、「ゲームはプロがアマチュア(競技経験1年程度)に負け得るが、他のスポーツではそのような現象は見られない。よって競技レベルが低い」というもの。今日Twitterでもそのような意見を見かけました。

しかし、これはいくつかの点で間違っていると思います。以下にその理由を。(以下ではアマチュアを競技経験一年程度の人と言う意味で書きます)

競技としての性質が根本的に違う

身もふたもないことを言うようですが、実際これはあると思います。

まずフィジカルスポーツはどれだけの知識や思考力があっても、フィジカル差でどうにもならないことが多々あります。

恐らくバスケの世界で平均身長以下の人はまず戦う土俵に上がるのが極めて難しいでしょう。これで全国民の50%以上は一気に可能性を削られます。

しかし、ゲームにそのような制約はなく、この点では万人が同じ条件で戦えるという点でトッププロとアマチュアとの間で差異を付けにくいと思います。

また、もう一つ競技ルールの普遍性も重要な視点かと思います。

野球やサッカーってもう突然大きなルール変更はないですよね?突然二塁が消えるとか、細かいこと言ってられねぇよ!とか言って急にオフサイドがルールから消えるとか、ないですよね。

しかし、ゲームは違います。スマブラの場合は4~5年に一度ゲーム自体が新しくなります。これは競技環境を一新するものです。

野球で公式球の反発係数が変化しただけで、競技シーンは大きく変わりました(通称加藤球)。急に活躍する選手、急に活躍できなくなった選手、様々発生しました。

それであれば、ゲーム自体が新しくなり、競技が一新された瞬間にあらゆる環境が変化した結果、トッププロとアマチュアとの間の差異が急激に縮まる可能性があることは明らかです。

実際、僕がスマブラXを買ってから10年間ずっとスマブラXをプレイし続けたら、どれだけセンスがあろうとプレイ歴1年未満の人には何があっても負けないと思います。

そのため、他のフィジカルスポーツと比較して「トッププロとアマチュアとの間の勝率差のみを以って、eSportsのレベルが低い」と主張するのは難しいような気がします。

そもそも「トッププロがその他プレイヤーに負ける」の負けるが表すものとは?

勝ち負けの定義の仕方によっては、他の明らかに競技性が高いスポーツでも同様の現象がみられると思います。

例えば、運動神経と体格の良いスポーツマンが野球を始め、1年間必死で練習したら130kmくらい投げられると思います。

その状態で、プロの打者と10打席勝負したら、打ち損じではあるだろうけど恐らく1回はプロが凡退するのではないかと思います(推測)。

この状態を「トッププロが1年程度の経験しかない素人に負け得る」と表現することもできると思います。

逆に、スマブラ4の終盤に「JPRのTOP20くらいのプレイヤーが、スマブラを始めてから1年程度のプレイヤーと10本先取をする」となったら素人じゃ絶対に勝てないと思います。

これは結局のところ、「何を勝ち負けの基準とするか」の議論であって、競技レベルの高さのみを現わしているものではないと思います。

この点でも、トッププロがアマチュアに負け得るということが競技レベルの低さを意味するものではないと思います。

競技レベルはどのように測るか

定量的に競技レベルを測る一つの手段としては、競技人口があります。

まずスマブラの競技人口って何人なんでしょう。

色々取るデータは考えられますね。例えば...

  • スマメイト登録ユーザー数:24,701人(2018/12/29現在)
  • ウメブラSP1参加人数:大体800人

など。いい加減な引用ですみません。

1回の大会で800人が集まったということは...適当な計算だけどあの日たまたまウメブラSPに来ることができなかった人、他地域に住んでいて参加できなかった人も含めるとその4倍くらいは少なくとも競技者がいそう。⇒3,000~4,000人くらい...?

スマメイトには2万人以上登録しているが、サブアカウント等も考慮して平均して1人が2つのアカウントを持っていると考えると、プレイヤー数は10,000~12,000人くらい...?

じゃあ平均を取ると、大体スマブラSPの競技プレイヤーは7,000人くらい...?

さて、フィギュアスケートの競技人口をここで見ます(ソースの確からしさや、中身まであまり見れていないことを容赦ください)。

日本のフィギュアスケート競技人口

男女合わせて4,000人程度、男子だけだと1,000人未満。

勿論、競技人口を決めるにはこのデータだけでは色々と不十分。競技プレイヤーをどのように定義するかの議論が完全に置き去りになっているため。

ただ、僕らがやっていることは他の社会的に評価されているスポーツと比較して、完全に劣っているものなのかというと、必ずしもそうではない気はしてくる。

最後に

一個言い訳させてください。お願いします!

この記事1時間足らずで書いたので、色々と記事として読むにはガバガバだと思います。

でも、たまにはこういうのも許してください。何かの参考になれば幸いです。こういうテーマで誰かもっと深い示唆を出してくれることを期待してます!!!

【スマブラfor WiiU】この4年間を振り返って(長文)

皆さんこんにちは。

結構こっちの個人ブログでも色々書きたいことが溜まっていたんですが、あまり時間が取れず結局ほとんど書けず...。

しかし、どうしてもこのテーマだけは書きたいと思っていました。というのも、スマブラXが約7年、スマブラ4が約4年と年数で言うとXと比べて1.5倍も短い寿命となったこのゲームですが、何よりこの4年間は本当に自分にとって大きな意味を持つ時間でした。

それは、スマブラの実力を伸ばす上でも、スマブラを通じた色々な活動をする上でも、スマブラ以外の学生生活や仕事という面でも、その他色々な面においても、あらゆる意味で大きな時間でした。

この4年間を振り返って印象的な出来事は山ほどありますが、その中でも自分にとって特に大きかったと思うことをいくつかピックアップし、振り返っていこうと思います。

①とにかく勝てなかった発売直後

発売直後こそはウメブラBest12等、前作の貯金を活かしてそれなりの成績だったものの、発売から半年経ったあたりでかなり勝てなくなりました。

タイマンで言うと、スマメイトで本当に誰にも勝てる気がしなかった時期もあったし、スマバトではbest96で終わって、知り合いから言われた「しょーぐんの時代も終わったな」という言葉がとても強く響きました。

しかし、それ以上に自分はチーム戦で勝てなかったことをよく覚えています。当時は自分もチーム戦にかなりの情熱を注いでおり、いつか勝ちたいと思ってどれだけ負けてもやり続けてました。

それでも勝てるようにはならず、相方に迷惑ばかりかけ、自分が情けなくてこれ以上やっていたら本当に辛くて仕方がないというところまで追い込まれました。

正直思い出したくないくらい辛い時期だったように思いますが、それ故に頻繁に思い出します。

結果的にチーム戦はそろそろ良いかという形になり、ほぼやらなくなりました。

当時は「今これだけ勝ちたいと思ってやってるのに、それを諦めたらこの先自分は自分で決めた目標に対して同じように中途半端な決断をしてしまうのではないか」と思い、どれだけ手ごたえがなくても意地でも続けていました。

今振り返ると、別にやめてもそれが自分にとって悪影響だったとは思わないし、むしろ勝てないと思った勝負は諦めることも大事だということを経験から学んだような気がします。

今後どれだけ勝てない日々が続こうと、この時よりも辛いことは絶対ありません。だから多分頑張れると思うし、頑張れないと思ったら諦めることもできると思っています。

そう思わせてくれたこの時期の経験は、とても重要な意味を持っていたと思います。

②京都勢との出会い

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自分は2013年3月までずっと関東勢でした。大学入学をきっかけに、関西に引っ越してくることになりました。

遅れて大学に入ることを決めたため、関東でプレイヤーとして活動していた時期は自分が16歳~20歳くらいまでということになります。

つまり、かなり界隈の中でも若い方で、オフに行けば自分より年上がほとんどだった時代を過ごしていました。

しかし、京都に引っ越し、特に京都勢の"きよすく"や"チャート奴"、"リーマ"といった世代が大学に入学して一緒にスマブラをするようになってからは、明確に自分が近場のコミュニティの中で年長組という立場になりました。

別に自分が引っ張っていこうとか正直思っていなかったです。でも、実力的な部分で言うと、なすびさんが一線を退いてから自分が京都を去るまでは、ずっと自分がトップだったように思います。

そのため、必然的にどこかで若いプレイヤーが自分を見ているというか、自惚れた表現をすると追いかけてるような気もしました。勿論全員がそうではなかったと思いますが。

その中で、自分が周りのプレイヤーに対して果たすべき役割も自ずと変わっていったように思います。

どうしたらこいつらが強くなるか、今どういう悩みを持っていて、それを過去に自分はどのように解決したか。できるだけ彼らの立場に立って、時には対戦だけでなくそういうアドバイスのための時間も作りました。

以下に印象的な出来事を。

山吹という若いネス使いが京都にいて、京都オフでは常連でした。会ってからしばらくして、フォックス使いへと転向をしました。恐らく、自分の影響が強かったと思っています。

彼は僕から見て、はっきり言うとセンスに欠ける部分があるというか、マイルドに言えば本当に不器用なプレイヤーでした。数年単位で予選突破さえしたことのないプレイヤーでした。

でも、結果に萎えずに自分にいつも質問をしてくれました。自分なりに真剣に考え、答えたと思っています。どこかで報われてほしいと自分も思っていました。

そんな彼がある回のスマバトで初めて予選突破を果たしました。彼も大概変な奴なんですが、泣きながら握手を求めてきたことを今でもよく覚えています。その場ではいつものように適当にあしらったんですが、気持ち的には祝福していました。

曲がりなりにも自分が誰かにスマブラを教え、それがその人にとって大きな意味を持つ成果を上げた瞬間だったように思います。塾講師をやっている時、受験シーズンにも同じようなことを思いましたが、こういう瞬間は嬉しいもので、これは京都にいたから得られた経験だと思っています。

決して立派な人間ではなく、プレイヤーとしても全国で見ればトップには程遠い自分だったけど、そういう積み重ねもあって彼らとは良い関係が築けたと思っています。

今ではこの業界全体で見ても年長者になった自分だけど、京都で学んだことはこれからも活きるだろうし、京都でできた人間関係に関してはこれからも大事にしていきたいと思っています。

③汚物消毒杯への参加

www.youtube.com

自分が前に出るきっかけになったイベント。

この企画、主催のtakeraさんは「しょーぐんさんは誘っても良いものかどうか迷った」とのことでしたが、自分は誘われた瞬間に面白そうだと思ったし、面白くしたい!と結構気合が入っていました。

結果、予想以上の反響を呼び、再生数も7.5万を超えました。

今でも汚物消毒杯をきっかけに自分を知ったと言ってくれる人も多いくらい、このイベントは自分のことを知る人を増やすきっかけになったし、何より「前に出て何かするの面白いな」と思うようになったイベントでした。

後のSmashlog参加や個人配信の着手も、全てきっかけはこのイベントにあったように思います。

また、僕は冗談抜きに学生時代に学生らしい青春を送ることができませんでした。そのため、一つのイベントを作り上げるという経験がなく、そういった活動をどこか冷ややかな目で見ていました。

その観点で言うと、趣味の世界でこうやって盛り上がって楽しんで、一つのイベントを作り上げて見てる人にも楽しんでもらうっていうのは、プレイヤーとして大会で勝つこととはまた別の充実感があります。

また次回作でも面白い企画やりたいですね、takeraさん待ってますよ!

④Smashlogの立ち上げ

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これは本当に大きかったです。2018年の2月あたりに、「Wordpressを使ってスマブラでメディアとかやりたいなぁ」みたいな話をツイッターでしたので、それを覚えている人がいたら僕が立ち上げたように思われたかもしれないけど、そうではないです。

むしろ、自分のアイデアと全く同じものが企画としてあがってきたため、正直盛り上がるだろうなと思ったし、そこに乗っかったという感じ。

週1以上のペースで記事を書き続けるというのは想像していた通り難しく、文章を書くペースが他人より早い自分にとっても中々の負担でした。

しかし、それ以上にこの活動を通じて色々なことに繋がっているし、これからも繋がっていきそうな気はしています。

一番うれしいのは、配信に多くの人が来てくれたり、オフラインイベントに行けば多くの人が声をかけてくれること。今の目標は、本当に具体的な数字やプロゲーマーといったよく分からない肩書きではなく、少しでも多くの人に自分を知ってもらい、応援してもらいたいということだけです。

その中で、これからも多くの人の前に露出する機会をこのメディアを通じて作れそうだということは自分にとって重要なことです。最終年に良い機会に恵まれたと改めて思っています。

⑤3回経験した予選落ち

スマブラX時代、予選落ちしたのは初オフ大会のみでした。そして、スマブラ4に入る頃にはこの業界の中でも強い人という評価を受けていたし、正直なところ予選落ちなんて可能性すら考えていなかったです。

しかし、現実的にはこのゲームを通じて3回予選落ちしました。ウメブラFINALが残っているので、可能性としては4回の線も残ってはいますが...。

勿論、予選落ちをした瞬間は落ち込むし、惨めな思いをするし、自分に対して怒りの感情が湧くし...マイナスの感情は挙げたらキリがないくらいです。

しかし、振り返ればいつも予選落ちがとても良いキッカケになっていたと思います。1回目の予選落ちは2015年4月くらいのウメブラで、これをキッカケにキーコンの変更に着手しました。Cステスマッシュから攻撃に変えましたが、ここで変えていて本当に良かったと今は思っています。

この後はウメブラスマバトで立て続けにbest8以上を3回くらい取れた記憶があります。他の要因もありましたが、1回目の予選落ちの後は着実に成果を上げることができました。

2回目の予選落ちは2018年1月、関西闘会議予選のDAY2でした。当時中々結果が出ず、気合を入れて臨んだDAY1ではbest48。心が折れそうで関東に帰りたいとすら思っていた中で迎えたDAY2で予選落ち。

家に帰ってからもしばらく誰とも話したくないし、スマブラもしたくないな~と漠然と思いながら、何か違うことで気分転換をしようとバッティングセンターに通ったり。

左打ちで100km/hの球を延々と打ち返しながら、良い汗をかくのはいいもんだと思い少し前向きになり、スマブラとも向き合えるように。ここでスタイルを大幅に変更し、攻めと読み合いを重視してもう一回構築し直そうという形に変えました。

その直後にスマバト3位、平日大会ではありますが闘龍門で大会初優勝とまずまずの結果を収める。

ただ、ここで結構今までになかった自信というか、結果じゃなくて自分の動きに対して自信を持ってしまい、詳細はここでは省きますがその自信が良くない方向に出て修羅ブラで早期敗退したり。良いことばかりではなかったです。

3回目の予選落ちは前回のウメブラです。あれからは技術面もだけど、精神的な面で自分と強く向き合ってきたような気がします。

それから出した結果はまずまず。数ヶ月スパンで見れば、この4年で一番安定して好結果を出したような気がします。

もっともウメブラFINALでどこまで勝てるのか...成果はそれ次第な気がしますが、3回目の予選落ちも結局自分にとってはプラスな出来事だったと言えるような締め方ができれば、と思っています。

勿論予選落ちだけでなく、他の大会でも悪い結果を出すたびに奮起してもう一歩実力を伸ばせたことは良いことだったと思います。言い方を変えれば、どれだけ悪い結果を出したとしても、それをバネにして必ずプラスに変えてきたし、これからも変えていけるとは思っています。(悪い結果を出さずに成長していけたらとは思うんですが...。)

あとはそのバネが一体どこまで伸びるのか...これは現時点では僕には分からないし、今後の自分次第だとは思うので、新作でも今まで以上にプレイヤーとしては頑張っていきたいと思っています。

 

以上、スマブラ4をプレイしたこの4年間、楽しかったです。

一足先にはなりますが、まずは振り返りということで。次回作もスマブラを通じて、多くの人と関わり、色々なことを学べたらと思います。これからもよろしく!